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ガンズ・アンド・ローゼズが、クラシック・ラインナップオリジナルメンバー (85年から90年までの活動期間に、ただ1枚のスタジオ・アルバムと破壊の爪痕を残した、爆弾5人組)の何人かで再結成するのではという噂が飛び交っている。しかし、このいつ爆発してもおかしくないバンドの30年の歴史は、セックスとドラッグとケンカと暴動と臨死体験とピューマと女の平手打ちとコカイン舌とケンタッキー・フライド・チキンのバケツを頭にかぶった謎の男に彩られている。それでは、ロック界きってのクレイジーなバンドのクレイジーなエピソードベスト50をお届けしよう。
85年6月:イジーとダフ、ふざけてバスドラムを隠す
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スラッシュは自伝の中で、スティーヴン・アドラーの最初のトライアウトとして行われたガンズ・アンド・ローゼズの悪ふざけについて述べている。「スティーヴンが小便をしに行くと、イジーとダフがバスドラム1個とフロアタム1個とラックタムを何個か隠した。戻ってきたスティーヴンが座って、何かが足りないと気付く前に次の曲のカウントを取り始めた。『おい、バスドラムが1個ないぞ?』と言って、トイレに行くときに落としたかなあという感じで探し始めた。(略)そのバスドラムがスティーヴンの元に戻ることはなかった。あいつにとって人生最良の出来事だった」
85年6月7日:ザ・ヘル・ツアー
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バンドのファースト・ツアーとなる“ヘル・ツアー”は、まさに地獄のツアーだった。フレズノから北へ2時間のところでバンドを乗せた77年型オールズモビル(とレンタカー)が故障し、メンバーは車を置いてシアトルまで40時間ヒッチハイクした。ギターだけを携えて。バンドは何本かのライヴに間に合わず、やっと着いたかと思うとアンプを借りて演奏するありさまだった。
85年6月:ガンズ・アンド・ローゼズ、契約前に死にかける
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ファースト・ツアーを終えロサンゼルスへ戻る途中で、バンドの車は大事故に遭った。交差点で、メンバーを乗せたダフのトヨタ・セリカの側面に時速60マイルで車が突っ込んできて、ドラムのスティーヴン・アドラーが足首を骨折した。「ダフの車は大破し、俺たちも同じ目に遭うところだった」とスラッシュは自伝の中で述懐している。「結成直後に一緒に死にかけるなんて、皮肉な運命のいたずらだ」
85年夏:ガンズ・アンド・ローゼズ、ロサンゼルスの路地 を悪の巣窟に変える
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「俺たちはドラッグを売った。女を売った。女がロフトで男とヤッてる最中に、俺たちは女の財布をまさぐった」と、イジー・ストラドリンは伝記『ウォッチ・ユア・ブリード:ザ・サーガ・オブ・ガンズ・アンド・ローゼズ』の中で述懐している。「マネージメントだよ」 - ロサンゼルス市当局は、乱痴気騒ぎの限度を超えたヘロイン、ポルノ、偽造ドラッグ、買春の黒い噂がはびこる場所として、バンドが住む路地を“619番地”に指定した。
86年2月28日: ガンズ・アンド・ローゼズ、契約前にキメる
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伝記の著者スティーヴン・デイヴィスによると、ゲフィン・レコードへの顔見せとなるトルバドールでのライヴに備え、アクセル以外のメンバー全員が酒を飲み、ヘロインを打ち、コカインを吸った。にもかかわらず、ゲフィン・レコードの代理トム・ズータウはバンドを気に入ったようだった。1カ月後、バンドはゲフィン・レコードと契約し、スラッシュは前金のほとんどをドラッグにつぎ込んだ。
86年3月26日:アクセル、レコード会社との契約をサボる
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グリフィン・レコードとの契約の日に、またもアクセルは癇癪を起してしまった。コンタクトレンズが見つからないと、彼は怒り狂って家を飛び出した。契約書を読ませないように誰かが仕組んだと考えたのだ。スラッシュとマネージャーのヴィッキー・ハミルトンがコンタクトレンズを見つけた(床の上とズボンの中に)。そして、道の先に、瞑想するかのようにウィスキー・ア・ゴーゴーの上にあぐらをかいて座っているアクセルを発見した。レーベルは待たされ、予定時刻を2~4時間過ぎてから契約を続けた。「誰も腹を立てませんでした。いつものことですから。毎日こんな感じでしたよ」と、ハミルトンはデイリー・メール紙に語った。
86年4月5日:二日酔いのアクセル・ローズ、ウィスキーでのライヴ前にスティーヴン・アドラーを殴る
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ソファーで眠っていたアクセルは、スティーヴン・アドラーに腹を立てた。ガラス瓶を片づけていただけか、アクセルを起こそうと瓶で殴りかかろうとしたかは定かではない。アクセルはコーヒーテーブルを投げ飛ばし、スティーヴンを消火器に押し付け、続けて頭を何発も殴った。1時間後にはふたりの仲は元通りになっていた。
86年5月13日: アクセル、セロニアス・モンスターとバトル
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ラジズでのライヴで、最前列にいたボブ・フォレスト(LAシーンの雄、セロニアス・モンスターのリード・ヴォーカル)の恋人が、アクセルの顔にビールを何度も吹いた。アクセルは彼女を怒鳴りつけ、マイクスタンドで追いやった。フォレストはアクセルにドラムスタンドを投げつけて応戦した。ガンズ・アンド・ローゼズとセロニアス・モンスターは、その年のハロウィーンにUCLAで行われるレッド・ホット・チリ・ペッパーズのライヴで前座を務めることになっていたため、関係を修復する必要があった。時は流れ、現在は薬物依存症のカウンセラーをしているフォレストは、テレビ番組『セレブリティ・リハブ・ウィズ・ドクター・ドリュー』の第2シーズンで、依存症と戦うアドラーをサポートした。
86年7月31日:アクセル、(また)遅刻する
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バンドは、ヴォーカル抜きでティンバーズ・ボールルームのライヴを始めた。開始時刻を勘違いしたアクセルが1曲目「エニシング・ゴーズ」のエンディングまで現れなかったからだ。バンドは歌なしのギターソロでつなぐことを余儀なくされた。
86年8月:スラッシュ、了解する
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テールライトが壊れていたため、ウェスト・ハリウッドの保安官がスラッシュの車を停めた。そして、皮下注射針を見つけた。スラッシュは逮捕され、バンドのメンバー2人が保釈金178ドルを払った。
86年10月23日:ガンズ・アンド・ローゼズ、アクセル抜きでアリス・クーパーの前座を務める
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ガンズ・アンド・ローゼズは、アクセル・ローズ抜きでショック・ロックの旗手アリス・クーパーの前座をした。アーリントン・シアターに遅れて到着したアクセルが門前払いを食らったのだ。イジー・スタッドリンは、「ナイトレイン」の歌詞“ガラガラヘビのバッグを脇に抱えて”を“大きなゾウさんを脇にブラブラさせて”にするなど、歌詞をでっち上げた。スラッシュは観客にステージに上がって歌ってくれないかと頼んだ。苛立ちが収まらないバンドは、楽屋をめちゃくちゃに破壊し、鏡を全部割った。
87年春:アクセル・ローズ、「ロケット・クイーン」にナマの音を加える
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87年、アドリアナ・スミスは恋人に浮気された。その恋人とは誰あろう、ガンズ・アンド・ローゼズのドラマー、スティーヴン・アドラーだ。だから、アクセル・ローズが19歳の彼女をスタジオに招き入れ「ロケット・クイーン」の最後のオーバーダブを手伝ってくれと言ったとき、自分の役目がアクセルとセックスしてあらん限りの大声を上げることであっても構わないとスミスは思った。スミスにとって、これはアドラーに復讐するチャンスだったし、何より、酒に酔った彼女にはアクセルが「めちゃくちゃすてき」に思えた。アクセルは本番中、しきりにスミスに迫真の演技を求め、「いいぞ、アドリアナ、雰囲気出せ。演技はよせ!」と呻いた。スミスはこの行為に加担したことを後悔し、「罪悪感と羞恥心」からドラッグとアルコールに溺れた。彼女は今、ドラッグとアルコール依存症のカウンセラーをしている。
87年7月21日:『アペタイト・フォー・ディストラクション』のジャケット、議論を呼ぶ
議論を呼ぶことにかけてのガンズ・アンド・ローゼズの才能は、プロとしてのキャリアがスタートした直後から抜きん出ていた。デビュー・アルバム『アペタイト・フォー・ディストラクション』のジャケットアートのオリジナルは、レイプ被害者に襲い掛かるロボットにさらなる巨大な敵が迫りくる様を描いた悪名高い、ロバート・ウィリアムズによる同名イラストを用いたものだ。「私の家にほかのイラストを見に来てジャケット用に選び直すようバンドのメンバーに言ったんです。厄介なことになるのはわかっていたので」と、ウィリアムズはリヴォルヴァー誌に語った。悽絶なイラストのため、このアルバムの取り扱いを拒否する小売店が多かった。オリジナルのアートワークはアルバムのパッケージの内側に移され、ジャケットは、今やシンボルマークとなったビリー・ホワイト・ジュニアによる十字架と骸骨のデザインに差し替えられた。
87年9月:イジーとダフ、ファスター・プッシーキャットのドラマーをテープで縛り上げる
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87年秋、ガンズ・アンド・ローゼズは、同じサンセット・ストリップの住人ファスター・プッシーキャットと共にヨーロッパとイギリスで8日間ライヴを行った。スラッシュは後年、ふたつのバンドの関係について、「お互いに一線を引いてたよ。友達って感じじゃなかった」と述懐している。しかし、ある晩、プッシーキャットのドラム、マーク・マイケルズがハンブルグのレーパーバーンへガナーに遊びに連れて行ってもらいたいとしつこく迫ってきた。それがダフとイジーの怒りを買い、マークは口と手足の自由をダクトテープで奪われ、そのままホテルのエレベーターに放り込まれホテルのロビーへ送られた。スラッシュは、「ホテルの従業員がマークを救い出した」と回想している。
87年11月20日:アクセル・ローズ、警備員を殴る
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アクセルにとってステージの上より楽しいことがあるとすれば、それはステージから飛び降りることだ。アトランタのオムニでのライヴ中、友人が警備員ともめているところを目撃したらしいアクセルは観客の中に飛び込み、警備員につかみかかると顔面に一発見舞った。彼はライヴを続行しようとしたが、「ミスター・ブラウンストーン」の演奏中に警察官に連行された。アクセルが楽屋で拘留されている間、バンドはローディーのビッグ・ロンに名曲ロックのカヴァー(「コミュニケーション・ブレイクダウン」と「ホンキー・トンク・ウィメン」)を歌わせて窮地をしのいだ。長いドラムとギターソロもあった。アクセルは暴行容疑を認め、罰金を払って裁判を逃れた。2006年になるまで、ガンズ・アンド・ローゼズが再びアトランタを訪れることはなかった。
87年12月19日:アクセル、ボン・ジョヴィのそっくりさん呼ばわりされて暴れ出す
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顔面に一発食らう覚悟があるなら、アクセルに「ボン・ジョヴィに似てる」と言ってみるといい。87年、両者を比較したファンにアクセルはパンチで応酬、シカゴのホテルのロビーで喧嘩になった。翌晩、アリス・クーパーのライヴの前座で、アクセルは本音を吐露した。「くたばれ、ボン・ジョヴィ」 と、アクセルは宣言した。2006年には、ボン・ジョヴィが、13年もアルバムを出していないのにいつもメディアに注目されているとローズを公然と批判して、敵対関係を煽った。
87年12月:スティーヴン・アドラー、街灯とのバトルに敗れる
Photo by Larry Marano/Getty
87年、アルバム『アペタイト・フォー・ディストラクション』がヒットしだした矢先、ドラムのスティーヴン・アドラーが殴り合いのケンカで目測を誤り街灯の柱を殴り、手を骨折した。ツアーが迫っていたので、バンドはピンチヒッターにシンデレラのドラマー、フレッド・コウリーを立てた。
87年12月23日:スティーヴン・アドラー、ニッキー・シックスの命を救う
Photo by Kevin Mazur/WireImage
87年のクリスマスの2日前、スラッシュと当時の恋人とスティーヴン・アドラーは、モトリー・クルーのニッキー・シックスとフランクリン・プラザで大量のコカインを吸っていた。アドラーの回想によると、ヘロインを注射するために一度部屋を出て戻ってくると、ドアが重かったという。意識不明となり紫色に変色したニッキーの体がドアを塞いでいたのだ。アドラーはまだ腕にギプスをしていたが、肩でドアを押し開けて中に入った。スラッシュと恋人はそこにおらず、片腕でシックスをシャワーまで引きずって行った。水をかけても意識が戻らなかったので、瀕死のシックスの顔を腕のギプスで殴り、死の淵から引きずり戻した。翌日、アドラーが病院のシックスを見舞いに行くと、「スティーヴィー、きのうの夜何があった? 顔が死ぬほど痛いんだ」と訊かれたという。
88年2月2日:アクセル、リッツの観客に飲み込まれる
MTVで放映された、現在は閉店しているニューヨークのリッツでの88年のライヴは、きわめて初期のガンズ・アンド・ローゼズの姿を捉えている。その晩のパフォーマンスでもっとも危険だったのが「パラダイス・シティ」で、アクセルがひしめき合う観客の海にダイヴした。その避けがたい混乱から、アクセルは3人の舞台スタッフの手によって引き上げられた。ようやく浮かび上がったアクセルは、シャツを着ておらず、アクセサリーもなく、左手首を気にする様子から判断するに、ひっかかれたようだ。ダフが叫ぶコーラスのハーモニー、そしてスラッシュがステージに寝そべって弾く激しいギターソロなど見せ場も満載で、このデカダンなアンセムのベスト・ライヴ・テイクとなっている。
89年夏:ザ・スパゲティ・インシデントの真相
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ガンズ・アンド・ローゼズの93年のカヴァー・アルバム『“ザ・スパゲティ・インシデント?”』のタイトルは、アクセル・ローズとスティーヴン・アドラーの間に起きたフード・ファイトに由来しているとする説が一般的だが、ダフ・マッケイガンがライターのギャヴィン・エドワーズに語ったところによると、89年にバンドがシカゴに滞在した際、コカイン中毒のアドラーがコカインをしまっていた冷蔵庫の横にバンドのイタリア料理のテイクアウトボックスがあったことに由来するそうだ。「彼は隠してある物を『スパゲティ』と呼んでいました」とマッケイガンは語った。バンドから追放される原因となったドラッグ問題の責任はバンドにあると、アドラーが93年にガンズ・アンド・ローゼズを相手取って起こした裁判の供述調書でも、その言葉が用いられたという。顔色ひとつ変えない弁護士に「スパゲティ・インシデント(スパゲティ事件)についてお聞かせください」と尋ねられたマッケイガンは、あまりに滑稽な質問がおかしくてたまらなかった。これがアルバムタイトルの誕生秘話だ。
89年:スラッシュ、幻覚を見て血を流しながら裸でゴルフリゾートを駆け抜ける
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89年のワールドツアーが終わり、ガンズ・アンド・ローゼズはロサンゼルスで休暇を取った。ジャック・ダニエルズ以外にバンドを縛りつけるものは何もなく、スラッシュのドラッグ問題は悪化した。「それが、89年から91年まで続く、長い悪夢のようなヘロインへの執着への始まりだった」とスラッシュは自伝で述懐している。そして、幻覚を見たスラッシュは、血を流しながら裸でアリゾナのゴルフリゾートを駆け抜けた。ヘロインとコカインを大量摂取した後、「ヘビのようなドレッドヘア」をした「人喰い生物たち」がマシンガンと注射器を持って追いかけてきた、とスラッシュは回想している。怪物と戦おうとして、スラッシュはガラスのドアをぶち破ってくぐり抜け、自室へ逃げ帰った。怯えた裸のスラッシュはメイドを“人間の盾”にして、ホテルのロビーを駆け抜け最後の盾となる芝刈り機の陰に隠れた。彼は警察に人喰い生物の襲撃の詳細を説明したが、「まだハイな状態だったので、冷静に話すことができなかった」そうだ。
89年8月:「ワン・イン・ア・ミリオン」、人種差別的・同性愛嫌悪的中傷で世界に衝撃を与える
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ティッパー・ゴア、ボーイ・ジョージ、アーセニオ・ホールなどの有名人がそろって「ワン・イン・ア・ミリオン」を糾弾した。事実、ショーン・ペンが擁護した以外、誰もがこの曲を非難した。「ワン・イン・ア・ミリオン」の歌詞は不適切な内容は否定できない。歌詞の一節でアクセルは“ニガー”と呼ばれる集団に“うせろ”と吐き捨て、“移民やオカマ”は“リトルイランを築いたり”“やばい病気を広げたり”するために“俺たちの国へ来る”と主張した。その上、ローズには非常に挑発的な瞬間をさらに挑発的な方法で説明する才能があった。人種差別発言については、「黒人同士が“ニガー”って呼び合ってるのに、なんで白人が同じ言葉を使うと急に差別だって騒ぐんだ?」と、性差別表現については、「ホモセクシュアルに何度かひどい目に遭わされたんだ。(略)(でも)俺に害が及ばなければ、やつらが何をしてもかまわない」と話した。また、『GN’Rライズ』のジャケットに「この曲の内容は非常にシンプルで、ごく世間一般なものです。気分を害される方がいたらお詫びします」と、謝罪にならない謝罪を掲載した。
89年8月27日:イジー、飛行機内でのトイレトラブルで逮捕される
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ロサンゼルスからインディアナポリスへ向かうフライトで、リズムギターのイジー・ストラドリンが機内調理室で放尿した。「年寄りどもの真ん中で飲んでたんだ。タバコを吸ってたらスッチーが注意しに来たから、“失せろ”って言ってやったよ」と、イジーは語った。「相当飲んでたから、小便が我慢できなかったんだ。トイレには先客がいてさ…1時間は待つと思ったよ。だから、ゴミ箱に用を足したんだ」 - フェニックスで、イジーは待ち構えていた警察官に、禁煙エリアでの喫煙、搭乗客への卑猥な仕草、およびスチュワーデスに吐いた暴言による公序良俗違反の容疑で逮捕された。「到着したと思って外に出たら、おまわりが10人もいてさ…“ゲッ! またやっちまった”って感じだったな」
89年8月28日:アクセル、日本でホテルの部屋に閉じこもり、数日間誰とも口を利かない
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アクセルには躁鬱の気があり、遅刻の常習犯で、何の前触れもなく出て行ったりルールを破ったりすることで知られている。ストラドリンが飛行機で起こした騒動がまだ尾を引いていた日本ツアー中、気難しいリード・ヴォーカルはホテルの部屋に閉じこもり、数日間誰とも口をきこうとしなかった。『ガンズ・アンド・ローゼズ「生きた伝説」』によると、アクセルは自分で頼んでおきながら、指定した時間に起こしにきたスタッフが気に入らないと言って容赦なくクビにしたという。
89年9月6日:ヴィンス・ニール、MTVビデオ・ミュージック・アワードでイジーに殴りかかる
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MTVビデオ・ミュージック・アワードでガンズ・アンド・ローゼズとトム・ペティーが「ハートブレイク・ホテル」を演奏した後、モトレー・クルーのヴィンス・ニールが客席から飛び出し、イジー・ストラドリンの顔面めがけて殴りかかってきた。イジーは交わしてニールの指輪で顔を切っただけで済んだが、わだかまりは消えなかった。ニールがバンドに公開決闘を申し入れた際、アクセルはメディアを通して「ヴィンス、どれがいい? ピストルかナイフか拳か? 好きなのを選べよ。構わねえから」と言った。
89年10月10日:アクセル・ローズ、デヴィッド・ボウイを殴る
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アクセル・ローズの短気は多くの敵を作ってきたが、デヴィッド・ボウイを殴ったときは、どうにか友だちになることができた。ボウイは「イッツ・ソー・イージー」のミュージックビデオ撮影現場に現れ、アクセルの恋人、エリン・エヴァリーにただならぬ感心を示した。アクセルは予想どおりの方法でその場を収めた。シン・ホワイト・デュークにパンチを食らわせ、セットから追い出したのだ。ボウイはすぐに謝罪し、ふたりはチャイナ・クラブへ繰り出し夜通し飲み明かした。
89年10月18日: アクセル、ローリング・ストーンズのファンの前でバンドの解散をほのめかす
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4日間にわたりロサンゼルス・メモリアル・コロシアムで行われたローリング・ストーンズのライヴツアーの初日の前座で、アクセルはバンドの恥部を露呈した。「ステージでこんなことしたくないんだ」 ― ヘロイン依存を批判した曲「ミスター・ブラウンストーン」のイントロでアクセルは言った。「でも、やれることは全部やったんだ。だから、このバンドの誰かさんたちが努力しない限り、このステージが最後のガンズ・アンド・ローゼズのライヴになるかもしれない。俺は、ここにいるのがミスター・ブラウンストーンとダンスしてるアホばっかりで嫌になっちまったんだ」 - アクセルの暴言の矛先となったスラッシュは後に、「あの頃は重度の麻薬中毒だったから、自分のことを言ってるってわかった。でも、あれがきっかけでアクセルを憎むようになったと思う」とVH1に語った。
90年1月2日: スラッシュとダフ、アメリカン・ミュージック・アワードで悪態をつきまくる
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ガンズ・アンド・ローゼズは、90年のアメリカン・ミュージック・アワードでふたつの賞を受賞した。2回ともスラッシュとダフ・マッケイガンがステージに上がり、検閲はディレイ・ボタンを握りしめるはめになった。バンドが『アペタイト・フォー・ディストラクション』で“フェイヴァリット・ヘヴィ・メタル・アルバム”賞をさらった際、スラッシュが「わざわざ来てクソみたいに2時間も遊ぶ」と授賞式の現場に対する彼の認識を表明し、そのあけすけなスピーチは中断された。授賞式の後半でガンズ・アンド・ローゼズが“フェイヴァリット・ヘヴィ・メタル・アーティスト”賞を受賞すると、さらに酩酊したスラッシュは、放送禁止用語を何度か口にした。最初の失言の後、すまなそうに「おっと」と(2回も)言ったにもかかわらず。翌朝、ABCのスポークスパーソンが「昨晩の放送中から今朝にかけて、番組内の不適切な発言に対するお叱りのお電話を多数いただきました」と発表した。
90年4月7日:ガンズ・アンド・ローゼズ、ファーム・エイドで内部分裂
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待望のアルバム『ユーズ・ユア・イリュージョンズ』IとIIの初お披露目となる、アクセルの故郷・インディアナ州で開催された、ウィリー・ネルソン主催のファーム・エイド4で見せたガンズ・アンド・ローゼズの興味深いパフォーマンスは、バンドがいまだ健在であることを示した。しかし、それは同時に、スティーヴン・アドラーの依存症を主な原因とするバンド内の亀裂の縮図でもあった。ドラム台の上に顔から落ちた後、アドラーはバンドで最後となるプレイをした。いずれにせよ、U.K.サブスの「ダウン・オン・ザ・ファーム」のカヴァーで見せた最高にご機嫌なジャムで、バンドは自身のパンクのルーツを世に示す機会を得た。そして(またもや)、アクセルはテレビの生放送で「クソ楽しかったぜ!」と別れの挨拶をして、ネットワークの検閲を挑発した。
90年4月28日:アクセル・ローズとエリン・エヴァリー、ラスベガスで挙式
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アクセルと長年の恋人エリン・エヴァリーの関係は転機を迎えた。90年4月28日、ふたりはラスベガスのキューピッド・イン・チャペルで結婚式を挙げた。アクセルに「スウィート・チャイルド・オブ・マイン」のインスピレーションを与えたエヴァリーは、48時間以内に婚姻無効手続きを行いたかったと伝えられている。わずか10カ月後の91年1月、結婚生活は法的に終わりを迎えた。「エリンと俺はお互いにひどいことをした」とアクセルは語った。「時にはお互いを思いやることもあった。俺たちの中の子どもは最高の友達だったんだ。でも、ほかの時には、俺たちはお互いの暮らしを粉々にぶち壊した」 - この暴力的な関係は、友人や目撃者には一目瞭然であったが、グレイト・ホワイトがアルバム『サイコ・シティ』でアクセルのパンチから逃れようとするエヴァリーの声の録音を使ったらしいとされ、広く知られることとなった。
90年5月:スティーヴン・アドラー、ドラッグ中毒のためガンズ・アンド・ローゼズを解雇される
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ガンズ・アンド・ローゼズのようなメンバーそれぞれが問題を抱えたバンドが、ドラッグ乱用を理由にメンバーのひとりを解雇すれば、深刻な問題になることは明白だ。90年の5月には、スティーヴン・アドラーがヘロインとコカインの使用をコントロールできない状態であることに、バンドは我慢の限界に達していた。ストラドリンによると、アドラーはこぼれたコカインを吸おうと床を嗅ぎながら這いずり回るような有り様だったという。後にアドラーは、自分にドラッグを教えておきながら中毒になったからといって解雇するのは不当だとして、バンドを相手に2600万ドルの損害賠償を請求する訴訟を起こした。
90年10月30日:アクセル・ローズ、ワインの瓶とチキンによる暴行容疑で逮捕される
Photo by Mick Hutson/Redferns
「隣にきちがいが住んでるんだ」 ― 隣人の頭を空のワインの瓶で殴った容疑で釈放されたアクセル・ローズはテレビ番組のレポーターに語った。ウェスト・ハリウッドの高級高層マンションでローズと同じ階に住んでいた被害者によると、ローズはほかにも彼女を目がけてチキン1ピースを投げつけてきたという。ローズの主張によると、ご近所トラブルは彼が越してきたときから始まり、さらにエスカレートしたという。結局、事件は免訴となったが、ローズはそのまま引き下がらなかった。彼がアルバム『ユーズ・ユア・イリュージョンI』のために書いた曲のタイトルはそのものズバリ、「ライト・ネクスト・ドア・トゥ・ヘル」(地獄はすぐ隣)だ。
91年6月2日:セントルイス暴動
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セントルイスに隣接したリヴァーポート・アンフィシアターで行われたガンズ・アンド・ローゼズのライヴが始まって90分、無許可で撮影している人物を最前列に見つけてアクセルは激怒した。そして、カメラを没収するよう要請したのを聞き入れなかった警備員に、さらに激高した。「俺が取り上げてやるよ!」とアクセルは叫び、観客の中に飛び込み、犯人を激しく殴りつけ、ステージへ戻った。「役立たずの警備に感謝するぜ。じゃあな!」と彼は宣言し、マイクをステージに投げつけ足早に立ち去ると、二度と戻って来なかった。その後の暴動で大勢のファンが負傷し、ガンズ・アンド・ローゼズはセントルイスから永久追放されることとなり、アクセルは4件の軽犯罪と1件の物的損害による訴因で5万ドルの罰金を科せられた。アクセルはその仕打ちに対し、『ユーズ・ユア・イリュージョン』IとIIのライナーノーツに“くたばれ、セントルイス!”と心のこもったメッセージを掲載して応えた。
91年9月17日:アクセル、メディアに「リングに上がれ」と要求
Photo by Peter Still/Redferns
大ヒットアルバム『ユーズ・ユア・イリュージョンII』に収録された「ゲット・イン・ザ・リング」(リングに上がれ)は、アクセル・ローズとメディアの浮き沈みの激しい関係の明るく描いた曲で、特にローズの怒りを買ったジャーナリストやメディアを名指ししている。実名を挙げると、ヒット・パレイダー誌の編集者のアンディ・セッチャー、ケラング誌のライターのミック・ウォール、サーカス誌の全スタッフ、ポルノ業界の実力者で身内のヒーローとして崇められた父を持つスピン誌の創設者のボブ・グッチオーネ・ジュニアだ。ローリングストーン誌のクリスチャン・ライトは、「リング」を『ユーズ・ユア・イリュージョンII』における“失敗作”で、その生意気で侮蔑的な態度を“バンドを中傷する人間を名指しで挑発しているが、卑怯な手段だと言わざるを得ない”と評した。しかし、時を経て本作は、ハードロック最強のディス曲として語り継がれている。
92年8月8日:モントリオール暴動
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その夜、ジェイムズ・ヘットフィールドはパイロテクニクスの事故で重傷を負い、メタリカのオリンピック・スタジアムでのライヴは突然中止された。その夜をやり直すことができれば、ガンズ・アンド・ローゼズはステージに上がるまで2時間以上待たされることも、音響トラブル(とアクセルの喉の痛み)で9曲演奏しただけで退散することもなかっただろう。そして暴動が起き、スタジアムに40万ドルの損害をもたらした2,000人以上のファンが周辺の市街地に流れ出し、窓を割り、店を強奪し、火事を出し、車を転覆させ、ようやく警棒と催涙ガスを持った警察官数百人に解散させられた。
92年夏:ローズ、ウォーレン・ベイティを口撃する
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ウォーレン・ベイティは「ダブル・トーキン・ジャイヴ」は自分のことを歌っているのではと思う程度には自惚れが強い。そして、パリでの一夜も、同じようなものだ。イジー作によるこのロック・チューンを、アクセルは「遊び好きの(略)寄生虫だ(略)自分にはない生気を若いやつらから吸って生き長らえてるジジイ(略)ケチなチンピラ」と呼ぶベイティに捧げた。ベイティは、アネット・ベニングと結婚する前、アクセルの元恋人ステファニー・シーモアと短期間交際していた。そして、その俳優とスーパーモデルの関係がまだ続いていると考える向きもあった(少なくともアクセルは)。「よく聞け、変態ジジイ」タバコの煙を吐きつつステージをズカズカと歩き回りながらアクセルは牙をむいた。 「お前がマドンナにはめられたって言うなら、俺はアネットに賭けるぜ。このクソ馬鹿野郎」 ― ベイティとベニングは4人の子宝に恵まれ、2015年3月に結婚23周年を迎えた。
92年9月9日:アクセル、ニルヴァーナにしてやられる 
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92年、同室にいることを許されないふたりのロック・スターといえば、地球上でもっともキレやすい人類アクセル・ローズと、コートニー・ラヴという生き物だった。92年のMTVビデオ・ミュージック・アワードの舞台裏で起きた有名な事件(子どもの名付け親になってくれとラヴがアクセルに絡んだ)の前から、アクセルとカート・コバーンは、お互いをけなしていた。後のコバーンの回想によると、アクセルが彼の元へやってきて、「女房になめた口を利かせるな。さもないとお前らを表に引きずり出すぞ」と怒鳴った。すると、カートは信じられない行動に出た。コートニーに向かって「黙れ、クソ女!」と嫌味たっぷりに叫んだのだ。ニルヴァーナによる「リチウム」の演奏後、ドラムのデイヴ・グロールは「ハーイ、アクセル!」と繰り返し、アクセルをさらに刺激した。
92年12月5日:アクセル、(妨害者の助けを得て)ブエノスアイレスのライヴを中止して観客に説教する
セントルイス暴動とモントリオール暴動の後も『ユーズ・ユア・イリュージョン』ツアーは敢行され、ガンズ・アンド・ローゼズはブエノスアイレスに混乱をもたらした。「ナイトレイン」を演奏中、ひとりのファンがステージに物を投げつけた。アクセルはライヴを中止し、その妨害者を呼びステージに上げ、「ここにはろくでもないバカがいる…ステージに物を投げればライヴが盛り上がるって勘違いしてるクソ野郎が」と、辛辣なメッセージを根気よく伝えた。そして、バンドの安全を脅かす者がいれば帰ると警告した。アクセルは妨害者に再び呼びかけ、「もし隣の奴が何か投げたら、ボコボコにしてくれ」と、再び警告した。ライヴは続行され、バンドは93年の大規模ツアーの締めくくりとして、再びアルゼンチンを訪れた。
93年4月4日:ダフ、サクラメントで“小便の瓶”を割る
『ユーズ・ユア・イリュージョン』ツアー中、観客が投げた、スラッシュ曰く“小便の瓶”がベースのダフ・マッケイガンに当たり、中止になったライヴがある。「楽しいライヴをぶち壊したくはないんだ。俺も楽しいし。でも、誰かが投げた瓶がダフの頭に当たって、もうプレイできる状態じゃない」とアクセルは観客に告げた。「ごめんな。気をつけて帰れよ。もしクソ野郎を見つけたら、殺してくれ」
93年6月16日:シャノン・フーン、裸でステージにピザを届ける
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6月にスイスで行われたライヴで、ブラインド・メロンのシャノン・フーンが裸で、ステージ上のバンドにピザを届けた。ピザを片手に5万人の観客に大事なモノを見せつけた後、フーンは何事もなかったかのように座ってボンゴを演奏した。ゲスト・ドラマーのコージー・パウエル(ブラック・サバス、ジェフ・ベック・グループ)は、同年7月にブエノスアイレスで行われたライヴでフーンに倣ったが、服装はもっと地味で、ドミノピザの配達員のユニフォームを着用していた。
93年11月23日:ガンズ・アンド・ローゼズ、シークレット・トラックでチャールズ・マンソンをカヴァー
アクセル・ローズは、アメリカで最も悪名高いサイコへの奇妙な親近感を常に示してきた。『ユーズ・ユア・イリュージョン』ツアーでは、しばしばマンソンの顔と“チャーリーはサーフィンしない”という文句がプリントされたTシャツを着ていた。しかし、カヴァー・アルバム『“ザ・スパゲティ・インシデント?”』のシークレット・トラックとして67年のマンソンの曲を追加したとき、彼は苦境に立たされた。この「ルック・アット・ユア・ゲーム・ガール」は皮肉にも、アルバム中数少ない穏やかな曲だ(ザ・デッド・ボーイズのカヴァー「エイント・イット・ファン」を参照のこと)。キャンプ・ファイヤーを囲むようなアコースティック・ギターとパーカッションだけで歌う、バンドのディスコグラフィーでも屈指のチルソングになっている。アクセルは後に、この曲がビーチ・ボーイズのデニス・ウィルソンによって書かれたものだと思っていたと主張した。また、「ルック・アット・ユア・ゲーム・ガール」の売り上げを環境保護チャリティーに寄付するという声明を出した。
94年1月:スラッシュ、フォーシンズンズ・ホテルにピューマを持ち込む
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落ち着いた生活に慣れるため、スラッシュはロサンゼルスに新居を購入し、そこで毒ヘビ、トカゲ、ネコ8匹、そしてカーティスと名付けたピューマを飼った。「そこに爬虫類園を作った」と彼は自伝の中で述懐している。「山ほどのヘビとその仲間だけの」 ― ノースリッジ地震が発生した際、スラッシュの自宅は大損害を被ったが、動物たちはすべて無事だった。彼はマリーナ・デル・レイのフォーシーズンズ・ホテルに避難し、カーティスをこっそり持ち込んだ。
94年3月:エリン・エヴァリーによる告訴
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アクセル・ローズ最高のラヴ・ソング「スウィート・チャイルド・オブ・マイン」のモデルとなったエリン・エヴァリーは、夫婦の関係と短い結婚生活は悪夢のようだったと証言した。エヴァリーは、脅迫と性的暴行で元夫を告訴し、ローズが彼女の行動を監視するためにアパートのドアを全部取り払ったことなど、不穏当な詳細を暴露した。また、彼がレッド・ツェッペリンのドラマー、故ジョン・ボーナムの亡霊に取りつかれていて、「俺たちの前世はインディアンで、俺は子どもたちを殺した。だから現世で俺に復讐してる」と信じていたと申し立てた。この訴訟は示談で解決した。
98年2月10日:アクセル・ローズ、空港警備員を恐喝した容疑で逮捕される
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98年、数年の沈黙を経て、活動休止状態のシンガーが空港警備員を恐喝したとしてメディアを賑わせた。アクセルは荷物を点検されるのを拒み、「今ここでぶちのめしてやる」と脅迫したと伝えられている。彼の音楽的嗜好は当時、テクノやインダストリアル、フューチャーに傾倒していたが、昔のように逮捕された。ゲフィン・レコードの広報はMTVに対し、「アクセルのバッグの中には誕生日プレゼントが入っていて、その中には友達がくれたガラス細工もありました。警備員がバッグの中を調べる様子を見て、壊されてしまうと思ったのです」と反論した。
2000年3月:バケットヘッドのバラード
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リードギターの穴を埋めるため、チョッピングでも被り物でもスラッシュに匹敵するわかりやすい人物として、アクセルは、マスクとケンタッキー・フライド・チキンのバケットを被ったカルト・ギタリストのバケットヘッドとして知られるブライアン・パトリック・キャロルを採用した。バケットヘッドは、『チャイニーズ・デモクラシー』のレコーディングで、自分のパートはゴム製のニワトリでデコレーションした特注のニワトリ小屋で録音したいと主張した。アクセルのペットの子狼がニワトリ小屋で粗相をした時、バルクヘッドはフンの始末を拒否し、臭いがたまらなく好きだと言い切った。また、バルクヘッドはしばらくの間、小屋にテレビを持ち込み、ハードコア・ポルノを流し続けていた。これは、消えないオオカミのフンの臭いよりもはるかにアクセルを苛立たせたという。
2002年12月6日:フィラデルフィアでドタキャン
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ラスベガスとロック・イン・リオでの復活ライヴの成功に後押しされ、アクセルはギターのバケットヘッドと新メンバーを携え北米ツアーに出発した。しかし、ツアーはフィラデルフィアで強制終了され、炎上した。気まぐれなアクセルのすっぽかし癖が顔を出し、ファンが暴動を起こしたのだ。アクセルはまだニューヨークにいてニックスの試合を見ているという噂がアリーナを駆け巡り、座席のクッションからクリスマスツリーまで、ありとあらゆる物がステージに投げ込まれた。2012年、フィラデルフィアのエレクトリック・ファクトリーで行われた追加公演で、アクセルは、「本当に体調が悪かったんだ。毛皮のコートやバスケの試合は関係ない」と弁解した。そして、「俺に非がないとは言わないよ」と付け加えた。
2006年5月19日:アクセル、トミー・ヒルフィガーにぶん殴られる
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アクセルの喧嘩の経歴で最もくだらない殴り合いの喧嘩といえば、ニューヨークのナイトクラブ・プラムで行われた女優ロザリオ・ドーソンのバースデイ・パーティで、11歳年上のファッション・デザイナー、トミー・ヒルフィガーにこてんぱんに殴られたことだろう。アクセルが無断で恋人の飲み物を動かしたことに腹を立て、攻撃こそ最大の防御だと判断したヒルフィガーは、警備員が止めに入るまで何度もアクセルを殴りつけた。「彼は大きな指輪をしていました」ヒルフィガーは2010年に回想している。「彼の着けているアクセサリーはそんなものばかりで。やられたらおしまいだ。歯も目もなくなる(と思った)。だから、殴られる前に殴った。自己防衛です。今では友達ですよ」
2006年9月21日:アクセル、サウフランシスコのライヴで野次を止める
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2006年、サンフランシスコのウォーフィールド・シアターでのライヴで、アクセルはひとりの態度の悪いファンと対決した。この事件でもっとも予想外だったのはおそらく、アクセルがきわめて“大人な”対応
Translation by Naoko Nozawa